4人に1人は60歳以上の日本。
超高齢化社会は今後も加速する。
ジイさんバアさんが街中にあふれると
高年齢の人を尊重する気風がなくなるものです。
なぜなら希少価値の逆だから。
ですが老人扱いの年齢になろうと
人間誰しもまだ若い時のままであろうと願う。

「でも今の団塊って元気がないよね!」(人口比率の割に)

北野監督がこの映画を撮ったのは
そんな思いがあったのじゃないかな。

※私はまだ観てませんので、
これは観る前の感想です。

(トレーラー動画)

北野武が語る「ジジイ」と老害
【CINRA.NET 4月22日(水)21時7分配信】

北野武監督の最新作『龍三と七人の子分たち』が、4月25日から全国公開される。その内容は、元ヤクザのジジイたちがオレオレ詐欺集団の若者と対決を繰り広げるという筋書きのエンターテイメント作品。近年の『アウトレイジ』シリーズでは強烈な暴力描写が話題となったが、今作はこれまでの北野映画の中でも最も笑いの要素を前面に押し出した、コミカルな一作だ。「金無し、先無し、怖いモノ無し!」というキャッチコピー通り、登場するジジイたちの行動原理は、「ノーフューチャー」なパンク魂に満ちたもの。それが痛快な物語の原動力になっている。

一方で、近年の日本においては、昭和時代など過去を賛美しノスタルジーをかき立てるような作品が娯楽映画の王道となっているのも事実。そんな中、なぜ北野武は「ノーフューチャー」なジジイたちをモチーフにした映画を撮ろうと考えたのか? 高齢化社会が本格化する中、人は老いとどう向き合っていくべきなのか。

エンターテイメントを通して見える時代の変化について、そして、そんな中で取り沙汰されるようになった「老害」という言葉について。様々な観点から、北野武監督に語ってもらった。

■単純にジジイが暴走族を組んで暴れ回ったら面白いだろうなって。警察の言うことなんて聞きやしない、「君たちには将来がある!」「将来なんてねえよ!」って(笑)。

―ヤクザを引退した老人たちの活躍を描くという今作のモチーフは、現代の日本とリンクする部分もありますが、じつは以前からあたためていたネタだそうですね。

北野:そうだね。最近は高齢化社会になって、年金の問題やらいろいろ言われるようになってきた。われわれ団塊の世代もいずれジジイばっかりになる。でも、ネタはかなり前からあったんだよ。単純にジジイが暴走族を組んで暴れ回ったら面白いだろうなって。警察だって相手が若いから説得できるんだよね。でも、ジジイの暴走族は脅しても言うことなんて聞きやしない。「君たちには将来がある!」「将来なんてねえよ!」「命を大切にしなさい」「してきたよ!」って(笑)。

―まさにそうですね(笑)。

北野:最初はそういうネタを4コマ漫画みたいな内容で書いていたの。「俺たちに明日はない」っていう、そのまんまのタイトルで(笑)。で、今の時代になって、それを元に映画を撮ろうということになった。オレオレ詐欺や、暴走族がタレントを襲う事件なんかも出てきて、ストーリーをだいぶ作り変えたんだ。ジジイが路線バスを乗っ取って、若いヤツを町中追いかけまわすっていうイメージだけが最初にあって、そこから遡って作り直した。

―物語の核の部分が最初にあったんですね。

北野:そう。でも、今は高齢者が騙されて何百万円も取られるような事件が一杯あるから、それもちゃんと絡ませようって。オレオレ詐欺の連中が、間違ってとんでもなく凶暴なジジイを引っ掛けて焦る。ジジイのほうは金を払う代わりに指を詰めようとしたり、大マジメに「俺の指じゃ足りねえのか!」とか「なんで逃げるんだ、コノヤロー!」って激怒するっていう。そういう面白さを出そうとした。

■スマホで見るような映画がジャンジャン出ているときに、「映像美」「カメラワーク」なんて言ってる場合じゃない。だったら、とにかく楽しめる作品を作ってやろうと思った。

―監督はここ数年、特に『アウトレイジ』以降はエンターテイメントに徹した映画作りをされていると思います。観客を楽しませるということを強く意識して映画を作るようになったのは?

北野:映画監督としてアートというか、自分の根源的な部分だけで撮りたい気持ちはあるんだけど、果たしてそれがちゃんと伝わったり、公開してくれるところがあるんだろうか? という気持ちもあって。ただでさえDVDやBlu-rayの時代になって、映画館からフイルムはなくなってるし、デカいスクリーンで観る人も少なくなった。それどころか今はネット配信で、スマートフォンで見るような映画がジャンジャン出てる。そんなときに「映像美が」とか「カメラワークが」だなんて、一人で骨董品屋やってる場合じゃないっていうね(笑)。だったらとにかく楽しめる、作品そのものがエンターテイメントっていうものを作ってやろうと思った。時代がそう変わっているわけだから。

―時代が変わったことを念頭に置いている。

北野:もちろん、今の時代は細分化しているからね。昔のアート系ミニシアターみたいな映画館も残っているし、そういうところで評価されるような作品はちゃんと別にある。でも、これはそこにかける映画とはまた違うからね。映画という表現自体も今まで通りのスタイルであり続ける必要はないと思う。

―一方、最近の日本では、娯楽映画の王道としてノスタルジックな作品が受けていますよね。「あの頃は良かった……」と過去を賛美するようなものも多い。

北野:ノスタルジーっていうのはウソだよね。そういう映画も観たけどさ、小道具のオモチャからして一つひとつ違う。自分はちょうど戦後に子ども時代だったから、そういうのを観るとちょっとイラついちゃうところもあって。竹ひご製の模型飛行機だって、ロウソクで竹ひごをあぶって、イチから作んなきゃいけなかったんだから。ノスタルジックに撮るのもいいけど、それは作っている人の理想だっていうこと。都会育ちの人ほど、下町に憧れたりするんだよね。でも、自分はホンモノの下町に育ったから、ああいった映画に描かれるような人物なんてどこにもいねえよ、ってことを知ってる。よそ者に親切にするなんてあり得ないし、あんなのがいたらぶん殴ってるよって(笑)。

■ニコニコ動画って、一言で端的に言い表しているコメントが面白いんだよね。ダラダラ長く書いてるのもあるけど、大抵ダメ。それは見逃さないようにしてる。

―対して『龍三と七人の子分』は、ノスタルジーとは真逆の発想で作られていると思います。オレオレ詐欺にしても、「京浜連合」という半グレ集団がIT系の会社組織になっていたり、今の時代の要素を意欲的に取り入れている。

北野:そうだね。これは完全にフィクションだから。元ヤクザのジジイが集まって暴れたらどうなる? ってだけで、リアルさは一切ない。でも、そこにリアルが少しだけ出てくるから笑っちゃうっていう。基本的にはミスマッチだから面白いんだよね。

―ミスマッチでいうと、笑える場面であえて物悲しい音楽が流れたりしますよね。

北野:笑いは違和感から生まれるからね。そういうところで「♪タンタカラッタ、チャンチャン!」なんて楽しげな音を鳴らされちゃうと、お笑いを持ち上げているようで潰しちゃう。以前、ウチの近所の商店街でお葬式をしていたことがあって、その近くのパチンコ屋が新装開店してたのよ。で、お焼香しながら後ろのほうでチンドン屋の音が聞こえてくるっていう(笑)。そういう偶然がかち合ってしまうマヌケさが、自分は大好きなんだよね。

―映画では、とてもスピード感のあるセリフの応酬が見どころの1つになっています。平均年齢72歳の大御所俳優の方々にこのテンポで演じてもらうのはかなり大変だったのではと思いますが、どうでしょうか?

北野:これはね、完全に編集なの。おじいちゃん俳優たちのセリフを録音、加工しているんだよね。尺を縮めて、声をずらして、重ねてる。すごく面白かったよ、殴り込みの場面なんて編集しながらゲラゲラ笑ってた。藤竜也さんなんてベテランで上手い役者だから、そのまま普通に演技してもらって、編集でお笑いにしちゃったの。オナラの音もたくさん入れたしね。本人が試写を観て驚いてたよ、「僕のオナラ、多すぎないですか?」って(笑)。

―映画の中では、オナラのような笑いにつながる効果音、テロップなども効果的に用いられています。こういった演出も、監督のこれまでの作品ではあまりなかったことだと思いますが。

北野:今のお笑いって、自分の後に2世代くらい大きな変化があって、ある意味細分化した、マニアックなものになっているんだよね。だから映画では徹底的に新しいネタを排除して、誰でも笑っちゃうようなものにした。オナラなんて、ギャグでいえば最低のネタだからね。舞台上でオナラをすればみんな笑うけど、それはお笑いの技術でもなんでもない。そういうことを平気でやるっていう(笑)。

―監督は「ニコニコ生放送」への出演など、新しいメディアにも積極的に関われています。そういうところから新しいテンポや間や映像の見せ方のヒントを得たりもするんですか。

北野:お笑いのセンスという意味ではあるね。ニコニコ動画のコメントって、一言で端的に言い表しているのが面白いんだよね。ダラダラ長く書いているのもあるけど、大抵ダメ。それより一言の中に圧縮できる技術を持った、短い言葉で笑っちゃうような表現が受ける。それは見逃さないようにしてる。

■この映画のジイさんたちも「俺たちに明日はない」とか言いながら、孫に小遣い貰ったりしている。そういうズレの面白さもある。

―『龍三と七人の子分』に登場するジジイたちは、みんなパンキッシュな魂の持ち主だと思うんです。それが痛快な面白さにつながっている。

北野:うん(笑)。

―Sex Pistolsなど、1970年代パンクのキーワードに「ノーフューチャー」というものがあったんですが、実際、この作品に出ているジジイたちは、文字通りに「ノーフューチャー」であるという(笑)。

北野:そうだね。でも、あの辺りのパンクを真似したヤツらが、宝くじ売り場に並んでいるのを見たことがあって、それも面白いよね。「ノーフューチャーじゃねえのかよ!?」って(笑)。この映画のジイさんたちも「俺たちに明日はない」とか言いながら、孫に小遣い貰ったりしてるからね。完全に思い通りにはいかないギャップがあって、でもギリギリ辻褄が合ってる。そういうズレの面白さも入ってると思う。

―試写後には、若い女性から「おじいちゃんヤクザたちが可愛い」という感想も集まっていたそうです。そういった「粋」なジジイになるコツは、どういうところにあると思いますか?

北野:リタイアを控えた人によく言うんだけど。「リタイアした後に何かやろう」としてもダメなんだよね。どうせ続かない。働いているうちから会社にウソをついてでも遊ばなきゃ。それでリタイアすれば楽しくなるし、困らない。だって好きなことをやるだけでいいんだもん。

■ジジイも、引き際を自分の意志で判断するようになればいい。いつまでもオムツしたまま生きていたくねえって、「もうくたばる!」って言ってもいいじゃねえか、って。

―監督は、今の日本社会と老人について、どう感じられていますか?

北野:やっぱり、あまりにも老人社会になってきてるよね。「老人を大切にしよう」ってよく言われるけど、そんなの大きなお世話なんだよ。年寄りが嫌がるのは「おじいちゃんこっちだよ、『歳』なんだから」って言われること。歳を取って可哀想だから優しく親切にしようとか、そういう紋切り型の扱いはおかしいよね。

―良い部分もありますか?

北野:老人を大切にしたいなら、礼儀を持って接することだよね。ある部分では歴史を作ってきたわけだし、尊敬するところもあるわけだから。ただ、一律に年寄りだから尊敬しようというのも、その人が本来持っている価値を認めないことになるし、単に歳を取れば価値が増えるわけでもない。骨董品になることが素晴らしいわけじゃないからね。まあ、自分もあとちょっとでジジイになるわけだけど、悪い奴になろうと思うね(笑)。もし捕まったらボケたフリすればいいんだから(笑)。

―一方で、今の社会では「老害」という言葉もよく使われています。

北野:うん。

―一般的には、自らの経験だけに頼って物事を考えたり、既得権益や権威にしがみつくタイプの人がそう言われることが多いと思います。しかし『龍三と七人の子分』のジジイたちは、まったくそういうタイプではないですよね。むしろ、何の社会的権威も持っておらず、より常識外れの行動を取っていく。監督の考える「老害」にはどういうイメージがありますか?

北野:うーん、そうだなあ……。害になるかどうかわからないけれど、間違った伝統というのは、老害だと思うけどね。

―間違った伝統というと?

北野:たとえば、歌舞伎は梨園(歌舞伎の内側社会)にいなきゃ主役になれないとか、能や狂言は一子相伝だとか。もちろん守るべき伝統があるっていうのはわかる。でも、やっぱり新しいものが出てこないと、どんどん古典になって、小さくなってしまう。歌舞伎は何度か伝統をぶっ壊そうともしたけどね。でも、若い人に何か言われて壊されるくらいなら、自分で壊しちゃったほうがいいよね。

―伝統に縛られるのではなく、上の世代からそれを打破しないといけない。

北野:人形浄瑠璃に竹本住大夫っていう人間国宝の方がいるんだけど、この方は三味線弾きに「太夫の声が出づらそうなんで、調子を落としました」って言われて、「お前なんかに私の喉を気遣われるようになったのか!」って激怒して、引退を決意したという。その気概は格好いいよね。

―引き際も含めて自分で決断する、ということですね。

北野:これからの社会は老人が増えていくからね。ジジイも自分の意志で判断するようになればいい。いつまでもオムツしたまま生きていたくねえって、「もうくたばる! 死ぬ!」って言ってもいいじゃねえか、ってね。

―組織や権威など、いわゆる後ろ盾に頼らない生き方ができるかどうかも大きいと思います。

北野:たとえば、昔の料理人なんて腕と包丁1本さえあればやっていけたわけだから、店を辞めたって別の店に行って、炒飯作って「雇わねえか?」って言える。実際にそういう話もあるんだよ。自分の知ってる店で、元の料理人がいなくなったら急に料理が不味くなった。年寄りも同じで、「もういい、こんなもん!」って辞めてから、「あの人がいないと困る」って言われるくらいでちょうどいい。若い人もそうなればいいよね。企業に入るのもいいけど、少しは職人が見直される時代が来てもいいと思うな。

(以上)