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洋画

「ミツバチが滅びると人類生存期間は4年」とアインシュタインは言う。

この映画を観て、僕はこのことを初めて知りました。

「もしハチが地球上からいなくなると、
人間は4年以上生きられない。
ハチがいなくなると、受粉ができなくなり、
植物がなくなり、最後は人間がいなくなる」
(ただしアインシュタインが本当に言ったのかの真偽は不明)

アメリカではミツバチの失踪をCCD(Colony Collapse Disorder)と呼ばれている。

原因として考えられるのは(
小笠原誠治さんのサイトによると)
農薬、遺伝子操作作物、ストレス、栄養不足、ダニ、細菌、電磁波が怪しい。
だが決定的な理由はまだ見つかっていないそうだ。
なぜなら農薬や遺伝子作物を行なっていない地域にも
ミツバチ失踪は発見されたから。
世界の至るところで起こっているから、だと。

ただミツバチにも種類がある。
今回集団失踪をして話題に取り上げられているのはセイヨウミツバチである。
このハチは蜂蜜を作るのに大変効率のいいハチなので、
世界で大量に輸入され養蜂家に親しまれている。
アメリカでも日本でも。
問題がセイヨウミツバチだけならいいが…

もし集団失踪がすべてのハチに起こったとしたらどうなるのか?
本当に人類の余命は4年になってしまうのか?

ミツバチの問題はムシできない環境問題の一つですよね。
詳しいことをご存知の方はどうかご一報をお願いします。
僕も知り得た情報はできるだけ掲載します。
ハチだけにハシに追いやってはいけませんね。

なぜ男は浮気をするのか?

「男はどうして女を欲しがるの?」

『昔、神様がアダムを創って、その肋骨からイヴを創った時、男の胸がぽっかり空いた。
その空虚を埋めるために女性を求めるのさ』

「なぜ男は複数の女を求めるの?」

『それは死が怖いからさ』

これは映画『月の輝く夜に』の一場面です。
シェールという女優さんと日本でもおなじみのニコラス・ケイジとの恋の物語です。
イタリア人らしい恋愛模様でおもしろいですよ。
是非レンタルして見て下さい。

“自動車”に寄せる男たちの熱い思い。

『グラン・トリノ』という映画を観た。
主演・監督はクリント・イーストウッドだ。
おもしろかったので是非レンタルで借りて観て下さい。

グラン・トリノとは、70年代に生産されたアメリカのフォード車の名前だ。
朝鮮戦争に従事した退役軍人の主人公のコワルスキーが、
20年間フォード社で働いていた時に製造したものだ。
それはそれは愛着のある車で、他の車には見向きもしない。
トヨタのセールスマンでトヨタ車に乗る彼の息子には、決していい顔をしていない。
アメリカの古き良き文化を大切にする頑固な老人がそこにはいる。

内容は観てからのお楽しみとして、
タイトルメニューにある「特典映像」を逃さず観てほしい。
そこである人が言うのは
「車は単なる移動手段ではなく、父と息子のコミュニケーションツールになるんだ」と。

息子が車をほしがる年齢になる。
「もうそんな年になったのだな」と
父は息子にお似合いの車を探し出して与えたり、
もしくは自分のお古をプレゼントしたり、
車についてあれこれと講釈する。
こうして父と息子の男同士の交流が行われる。

『自動車は息子とできる共通の話題になるのだ』

内容に触れてしまうが、
映画の主人公とその息子との交流はどうであったのか疑問が出てくる。
おそらく軍人時代に犯してしまった後ろめたさ・後悔が懺悔の日々となり、
不器用で無口な父親にしてしまったのだろう。
神父にも息子にも言えない過去の秘密が、息子との距離を隔てる。
亡き妻もそれを感じていた。

息子を持つ父たちよ、
失敗や挫折の人生だって息子は共感してくれるはずだよ。
嫌われたっていいではないか。
いつかきっと解ってくれるよ。
だってあなたの息子だろ?
大人になってみないと解らないことは確かに多い。
信じてみよう。

『男同士の魂の交流』

いいものだね。

では女同士はどうなのだろう?
教えて下さい。

「自分を信じることができないボクサーは終わりだ!!」

10回の防衛戦を果たし引退しようとするロッキーの前に、
新進気鋭の強敵クラバー・ラングが現れ、「俺と闘え」と挑発する。
トレーナーのミッキーは「奴は殺人マシーンだ」と止めさせようと必死になる。
「でなければトレーナーを辞める」と。
「俺はチャンピオンとして10回も防衛してきたんだ」と言うロッキーに対し、
「それは相手を選ぶことができたからだ」と答えるミッキー。
「つまり弱い相手を俺に対戦させたのか?」とロッキーは問い正す。
言葉を詰まらせたミッキーは「これで最後にしろ」と対戦を承諾する。

ミッキーは試合直前に心臓発作で倒れる。
いつもセコンドにいるはずのミッキーがいないからか、
結果はKOの惨敗。
控え室に戻ると、最期のミッキーに別れを告げる。
「勝ったよ」と嘘をついて。

再戦を決意するロッキーは、
前チャンピオンのアポロをトレーナーに迎え、
ロサンゼルスで練習に励む。
心のより所としていたミッキーが死んでしまった孤独感、
偽チャンピオンだったのではないかという苛立ちと傷心、
ロッキーは何もかも投げ出そうとする。

「ボクサーが自分を信じられなくなったら終わりだ!!」

そんな弱気な夫に妻エイドリアンは激励する。

「あなたは私たち家族を守ってくれた。同じようにミッキーもあなたを守っただけ」
「今度はもう誰のためでもない、何のためでもない、自分のために闘って!!」
「闘うボクサーをあきらめないで!!」と。

あの内気なエイドリアンの変貌ぶりに驚いたロッキーは
「強くなったな」とつい口にする。

「闘っている時のあなたが好きなだけよ」
(ピンチの夫を助けることができるのは、妻だけかもしれない)

『自分を信じる者だけが闘える』

あなたが自分を信じる心を持ち続けるなら、
人生という戦場から逃げ出すことはないだろう。
思う存分闘おうではないか。
疲れ切るまで。

映画 『ロッキー5』 は駄作。見なくてもいい。

シリーズ1から4まではボクシング映画として最高傑作だったのに、
なぜ5では単なる格闘映画になり下がってしまったのか…残念!!

引退したロッキーの前に一人の若者トミー・ガンが現れ、弟子になる。
トレーナーとしてのロッキーの助力により、トミーは世界チャンピオンにまでなった。
だが真のチャンピオンはロッキーだという声に激怒し、ロッキーに試合を申し込む。
取り合おうとしないロッキーに苛立ったトミーは、ロッキーの親友ポーリーを殴る。
それを見たロッキーは路上で彼と決闘し、KO勝利して終わる。

ボクシングファンの僕としてはあまりにもお粗末なシナリオだとしか思えない。

「なぜ路上で殴り合いの試合をするの?」
(それはボクシングじゃないだろ!?)

「ロッキーが煙草を吸ったよ」
(プロボクサー意識はどこへいった?)
【注:煙草はスタミナを減らす】

「前作4で父として息子に“男”の生き様を見せるためリングに上がったのに、
なぜ5では息子への関心を無くし、トミーを溺愛するの?」
(いじめられた仕返しに息子もボクシングを始めたのに)
≪父親として息子が自分と同じ職業に就くのは涙が出るほどうれしいもの≫
《でも危険なボクシングはさせたくないのも親心》

僕のこの感想を裏付けることに、映画の興行収入は最低だったそうな。
演じていたロッキーと同じく、脚本家スタローンの絶頂期はすでに終わっていたのですね。
5は本当に見なくてもいい。
がっかりするから。
(でも『ロッキー ザ・ファイナル』は見てね)

【私のコメント】

ロッキー5の出演者

トミー・ガン役のトミー・モリソンは当時世界ヘビー級チャンピオンだったらしい。
(黒人が多いヘビー級で白人がチャンピオンになる。スタローンの目に止まったのだろう)
息子役はスタローンの実子セージ・スタローン。

ちなみにスタローンは4のドラゴの妻役の女性と結婚したらしいが、後に離婚。
時間的に考えてセージはその時の子供ではないだろうね。

「人生ほど重いパンチはない」とロッキーは息子に諭す。

親の七光りで絶えずチャンピオンの父と比較されて、
あげつらいに悩む息子に父ロッキーは言う。

「世の中はいつもバラ色ではない」
「そこは辛くて厳しい所だ」
「油断してたら二度と這いあがれなくなる」
「どん底から抜け出せなくなる」
「どんなにきついパンチを食らおうと、どんなにこっぴどくブチのめされようとも、
ひたすら苦痛に耐え、前に進み続けろ」
「そうすればその先に勝利がある」
「自分の価値を信じるなら、パンチを恐れず前へ進め」
「人を指差し、自分の弱さをそいつのせいにするな」
「そんなことはひきょう者のすることだ」
「お前はひきょう者ではないだろ?」
「自分を信じなきゃ、自分の人生ではなくなる」
「この先どんなことがあっても俺はお前の親父だ」
「これからも変わらずにお前を愛し続ける」

自分の思い通りにならない世界。
それを仏教ではサハー(娑婆)と言う。
懸命に生きていても、なかなかうまくいかないことばかりでウンザリする。
そんな娑婆の世界でひたすら前へ進み、勝利をつかみ取る。
生やさしいことじゃないぜ!?
そんなことは分かっている。
誰でも己の抱いた夢がある、いやあったはずだ。
胸の中にしまいこんで結局は果たせずにいる、挑戦もせずにいる。

プロのライセンスを再発行するために赴いた委員会の重鎮にロッキーは言う。
「自ら挑戦する者の権利を止める権利は誰にもない」
さらに詰め寄り
「年を取るほど失うものも多い」
「残った俺の挑戦心まで奪わないでくれ!!」と。

過去を振り返るばかりだったロッキーの前に若い挑戦者が現れ、
眠りかけた情熱を再び燃え上がらせる。
夢を失いかけた息子に“男”の生き様を証明するために、
現実というパンチで打ちのめされてしまった周囲の仲間を励ますために、
愛妻との思い出を光り輝かせるために、
闘うボクサー、ロッキーが今、リングに上がる。
(続きは見てのお楽しみにね)

文盲という劣等意識は、そんなにも人に知られたくない恥ずかしいことなのかと驚いた。

 
DVDとBlu-rayと原作本です。

『愛を読むひと』(原作『朗読者』)という洋画を借りて観た。
ネタばれになるがストーリーの要点だけ紹介します。
(ケイト・ウィンスレットが老けていく過程がおもしろい。名演)

ケイト扮するハンナ・シュミッツと
15才の主人公ミヒャエル・ベルクはひと夏の関係を持つ。
物語が好きなハンナはミヒャエルに本の朗読をお願いし、
二人の仲は親密度を増してゆく。
ある時彼女は彼の前から姿を消す。
(理由は昇進して事務職を任せられることを嫌がったからだ)
ハンナにはナチス親衛隊として働いた血塗られた過去がある。
ミヒャエルと別れて数年後、
ハンナは法廷に立たされ、筆跡を調べられるために、紙とペンを渡される。
彼女は文字が書けない読めない文盲であることを人に知られたくないために、
裁判で不利な証言をしてしまう。
「無期懲役」の判決が下る。
その法廷をたまたま傍聴していた今や法学生となったミヒャエルは、
彼女の文盲を知っていた。
救えるはずのハンナを見過ごしにしたのだった…

罪の意識からかミヒャエルは牢獄のハンナにかつて読んで聞かせたテープを送る。
それをきっかけに彼女は“文字”を学ぶようになる。
少しずつ文字を理解するようになり、その喜びと共に彼に短い手紙を送る。
時に「返事がほしい」という手紙に彼は手紙を送らない。
送るのは本だけだ。
いよいよ出所も近いという日にミヒャエルはハンナを迎えに行くと約束したが、
ハンナはその夜自殺する。

「なぜミヒャエルは文字を理解し始めたハンナに手紙を送らなかったか?」

ハンナは文盲だった自分を恥じていた。
彼は刑務所内の彼女の“文字”の理解度を知らない。
もし高等な文を書いて理解してくれなかったら彼女のプライドを傷つける。
もし幼稚な文を書いて送ればこれもまた彼女のプライドを傷つける。
ミヒャエルはかつて愛した人を思いやり、送るのを拒否したのだ。

「若かりし頃の主人公が、なぜあの時文盲だと証言しなかったのだろうか?」

二人のあの夏の関係の中で育まれた二人だけの『絆』が思い出と共によみがえり、
これも彼女への思いやりから真実を公然にしてしまうのを拒否したのだろう。
(時として真実は人を傷つけるのだ)

思春期の青年が夢見る永遠の恋。
ドイツ人の犯した罪の贖いと文盲という羞恥心。
寂しく孤独な現実と冷たく固い牢屋で交わされる二人の蜜月。
歳月という罰を受けながらも愛を感じ合った日々。
そんな甘く切ないラブストーリーです。

借りてでも是非観てね。

『ファイター』 兄弟っていいものですね。


DVDとブルーレイです。

ボクシング映画と言えば『ロッキー』シリーズですが、
『ミリオンダラーベイビー』も良かったです。

今年上映されたこの『ファイター』も人間関係の温かい絆を見せてくれてます。
実話に基づいたストーリーのようですよ。
家族っていいものだな、ほんのりした映画でした。
よかったらレンタルで借りて見て下さい。

それにしてもクリスチャン・ベール“ヤク中”ぶりは
見てるこちらまで心配になってしまうようなイカレぶりでした。
私生活でヤってないことを願います。
(wikiを読んだら、役作りのために13キロの減量と、髪の毛を抜いて歯並びも変えたとあります)
スゴイ役者魂ですね。

ハリウッドの裏側が麻薬で汚染されていなければいいのですが。
以前日本の芸能界でも問題沙汰されたことですし。
どうなってしまうのでしょうね、スターの行く末は…
スターはスターであってほしいものです。

『いつも心に太陽を』(1967年)

黒人俳優シドニー・ポワチエ扮するサッカレー先生が
イギリスの落ちこぼれ高校にやって来る。
そして“学級崩壊”のクラスをものの見事に更生させていく物語だ。
(パート2もあるらしいけど観ていない)
(パート2はこの30年後に作られたので、時代や場所の設定が違う)

ミッシェル・ファイファー主演の
『デンジャラス・マインド』も同じテーマを描いた映画です。

疲れた日本の教育関係者の方、
もし気分転換でもしてみようと余裕があるならば
ツタヤにでも行って借りて見て下さい。
きっと有意義な2時間になりますから。
保証します。

『Fame』 若さみなぎる映画を観て元気になろう!!

タイトルは『名声』という意味。

歌手やダンサー、役者としてトップになりたいという10代の若者たち。
学校の食堂や通りのド真ん中でキチガイのように楽器を鳴らし歌い踊る。
まさしく『若さの爆発』です。

誰かが言っていました。
夢を語る若者を見るほど楽しいものはないと。

ショービズの世界では、夢かなわぬずに挫折する人がほとんどでしょう。

それでも“夢は私の手中にある”と信じている純情。

傷ついた大人たちに観てほしい1本です。

注:アイリーン・キャラという女優は『フラッシュダンス』の主題歌を歌っているのだそうです。知りませんでした。


よろしかったらこちらも是非見て下さい。